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ふぅ、という彼の吐いた息に私はびくりと身体を震わせた。 今週は彼が週番で、部活の後日誌を書くため、私と彼は教室にいた。 教室には私と彼しかいなかった。 溜め息は、ただのなんでもない溜め息らしかった。 どうしてだろうか、最近の私は彼と二人きりというのがどうも苦手らしい。 付き合い始めて今日でちょうど半年が過ぎた。 もちろん、相変わらず彼のことは好きである。 しかしなんだか最近、二人でいるのが苦手、いや怖いのである。
渚 、どうした?」
「ううん、なんでもないよ」
「そう?じゃあ書き終わったから職員室に寄って帰ろう」
ガタガタと椅子を鳴らして私達は立った。 暗くなり始めたときに部活が終わったため、外はもうすっかり暗くなっていた。 そして彼は当たり前のように私の鞄を取り上げたので、ありがとうと呟くと、どういたしましてと微笑みが返ってきた。 本当は気付いているに違いない、私が怖がっていることに。 私は怖がる一方、彼といることで幸せを感じているのだから、ますます自分が何故怖いと感じるのか分からない。 それらをひっくるめて全部分かっているんだろうなと思う。
「セイ、」
「ん?」
「…ありがとう」
どうしたの、さっきも聞いたよと笑う。いろいろねと私も微笑んだ。



校門を出ると私達はどちらからともなく手を繋いだ。 冷え症である私の手は彼の熱を受けて、じんわりと温まっていく。 不意に、ぞくりとまた彼が怖くなった。 手が固くなったのに気が付いたのだろう。 彼は私の手を少し強く握った。
「俺が怖い?」
優しい目をして覗きこんできた彼に涙が出そうになった。 うん、と本当に小さく呟いた。 でもねと私は続けた。 セイのこと本当に大好きなのよ。知ってるよと彼は言った。
「大丈夫。渚 は俺だけ見てればいいんだよ」
そういって安心させるように微笑むので、私もつられて口角を持ち上げた。 嗚呼、やっぱり彼が好きだ。
「きっと渚 は幸せ過ぎて不安なだけだ。」
あまりにもきっぱりと断言するので、理解したわけでもなく、思わず頷いた。 確かにそう思う節も思い当たり、きっとそうなのだと彼の言葉を受け入れ、納得することにした。 するりと彼は手の繋ぎ方をかえた。 絡まった指に、より彼を近くに感じて少しどきりとした。 彼はふふっと笑って可愛いと私に言ってくる。 照れ隠しにセイは恰好良いよと言ってやった。 実際のところ彼はどこか儚い綺麗さを持ち、且とても恰好良かった。 悔しいことに彼は照れた様子も全くなく、ありがとうと微笑んだ。 私は彼の、いつも余裕でいるところが好きで、少し嫌いだった。 私はこんなにも彼の言葉や仕草の一つ一つに、どきどきしたり、不安になったり、振り回されているのに。 不公平ではないか。 そんなことも言うと、彼は少し驚いた顔をしてみせ、そして、今度は困ったように笑った。 わがままな子だね、と。 その自覚は少なからずあった。 気遣い上手という評価を有り難くも友人から拝受していたが、彼の前ではたちまち、我が儘を言ってみたり、甘えてみたり、普通の女の子になってしまうのである。



それから彼の部活の話をし、一緒に真田くんを話の種に笑いあった。 皇帝と畏れられている彼も、セイの手に掛かれば私達と何ら変わらない中学三年生の男の子になってしまうのだから、改めて私の彼氏の凄さを感じるのは禁じ得ない。
「そういえば赤也が渚 を見たいって言ってたよ。」
「赤也くん?なんでだろう?」
「まぁ大方、部長の彼女に興味があるってとこじゃないかな?」
どうする、会ってみる、と聞かれ、彼の話は散々セイに聞いていて勝手に知り合いになったつもりでいだが、実際に会ったことはなかったことに気付いた。 扱い難いという噂も耳にしたこともあるが、やはり彼もセイにしてみれば、まだまだ可愛いものだという。
「じゃあ今度レギュラーのみんなとご飯食べに行こうよ!!」
「ああ、それもいいね」
明日皆に言っておくと彼は言った。 そういえば、彼と付き合い始めたとき、学年中から好奇の目を受けたのは記憶に新しい。 同い年の人間からすれば、私達はよく一緒にいるので、とうに日常と化し珍しくもなんともないのだろうが、二年生や一年生からは未だ珍しいものらしい。 私達が一緒にいるのを見ると、顔を寄せ合って、幸村先輩と平平山 山先輩よ、なんて囁き合うのは、なんというか慣れたものだ。 この場合、有名なのは私個人というものではなく、幸村精市と付き合っている平山 渚 という人間のことである。 彼からの告白を受けた時点で予想していた範囲内であった。 それだけ彼の存在がこの学校において大きいのだ。 否、日本全国でといってももしくは過言ではないかもしれない。 だから少し怖いと感じたのかもしれない。 彼と過ごすのはしかし苦痛なんかではないとはっきり断っておく。
「セイ、明後日って部活早く終わる日って言ってなかったっけ?」
「ミーティングだからね」
「じゃあ明後日みんなでご飯食べよう?」
「いいよ」
ぴたりと彼が足をとめた。 見れば私の家が目に飛び込んできた。 彼と過ごすと時間が驚くほど早く過ぎてしまう。 楽しい時間は早く過ぎるというのはまさにその通りだと思う。 そういえば、幸せ過ぎて怖いなんていうのはこういうことなのかもしれない。 このまま別れてしまうのは寂しいという思いを明らかに表してみれば、彼はまったく君は、なんていいながらも目を和ませた。 理解してもらえるのは嬉しいものだ。 渚 、私の名前を彼の形のよい唇が紡ぐのを見て、目をつむった。 ちうと啄むようなキスがおりてくる。 それはすぐに離れ、目を開けると彼が微笑んでいた。
「また明日」
「うん、また明日ね」
もう一度軽く唇を合わせ、私は手を小さく振って彼の姿が角を曲がり見えなくなるまで見送った。 見えなくなって、家に入ろうと踵を返したとき、ぶぶぶ、と制服のポケットに入った携帯が振動した。
――愛してる
たった5文字のメール。 私は思わず笑った、幸せをかみ締めて。
――私も愛してる
それだけを同じように送った。


王者達の日常