![]() 所詮叶わぬ恋だ。諦めなきゃ。この言葉を幾度ココロの中で繰り返したか知れない。 彼の隣には彼女がいたし、隣をゆくその前も彼の中には彼女がいた。彼女の方も満更ではなく、彼の隣を好んで在るように見える。 なら私にはチャンスの一欠片もないではないか。諦めるしか道はないではないか。 マーちゃん、私が呟くと彼女は隣には彼がいるにも関わらず、少し離れた私の小さな声に気付いて振り返った。 マーちゃん、再び呼ぶと彼女は彼から離れて私の方へと足を進み始める。 サクリ、サクリ。 雪を踏む音が段々と近付き、やがて止まった。 そして彼女はその整った顔にぎょっとした表情を浮かべた。 、貴女泣いてるの、その言葉に驚いたのは寧ろ私の方であった。 自分の頬に手を当てると、冷え症であるが故に冷たくなった手に暖かい液体がとめどなく上から下へと重力に従って落ちていくのを確かに感じる。 「雪がね、目に入っちゃって」 別に問われてたわけでもないのに慌てて言い訳を述べる。 彼女は納得してはいないようであったが頷いてみせた。 (貴女が羨ましいんだよ) シャープな顔立ちと、クールながら何処か守ってあげたくなる雰囲気を持つ彼女は学校では女帝と呼ばれていたし、 そんな彼女と幼き頃から一緒にいる私はいつも周囲から比較され続けていた。 「…マリア」 「マルコ…!」 いつの間にかマーちゃんの隣に来ていた彼に私は驚き視線を外すのも忘れて、食い入るように見つめた。 円子令司。 それが彼の名前だった。 マルコ君、口には出さないで呟いてみる。 それだけでポカポカと暖かくなるのは私が彼に恋をしていることを明快に表していた。 所謂幼馴染みである彼女、氷室丸子を羨ましいと感じる理由がそれであった。 彼の隣に在ることをどれだけ私が望んでいるか、貴女は知らないでしょう。 今までどれ程の劣等感に苛まされてきたのか、貴女は知らないでしょう。 貴女は良い人よ、嫌いになんてなれない。でも時々、貴女がいなければと思ってしまう自分を止められないんだよ。 こんな醜い私、マルコ君には知られたくない。 貴方の瞳に映らないのなら、せめて綺麗な私を片隅で良いから覚えていて欲しい。それは我が儘でしょうか。 ![]() 二人が別れてから初めての春だった。 私とマルコ君が初めて同じクラスになった。 「さん、だよね?」 偶然にも隣の席であった。 神様ありがとうなんて、信じたこともない存在に感謝してみる。 話しかけられて舞い上がった心はしかし次の、マリアの幼馴染みの、と付け加えられた彼の言葉を受けてみるみる萎んでいった。 悲しみというべきか、或いは小さな絶望である。 彼に非があるわけではなかったので、寧ろ非があるのは私だが、そうだよと頷いた。 「去年の冬一度だけ会った…よね?」 「そうだね」 この学校に通い始めて既に4年目ではあったが私と彼が会ったのはあの時だけという、例えばマンモス校でもない限り普通なら起こり得ない事象である。 ひとえに私の企んだものであった。他に心を奪われた彼の瞳を見たくなかったからだった。 持つ資格すらない嫉妬の波に飲まれそうで、そんな自分が嫌で、そして持っている幼馴染みに当たってしまいそうな自分を抑えられなかったからだった。 「…さん?さん?」 「え、何?呼んだ?」 やっぱ聞いてないっちゅうね、そう言ってからから笑う彼に、胸が高鳴る。 「だからね。アメフト、興味あるの?」 「どうして?」 指差された鞄をみて頷いた。 成る程、私の鞄から少しばかり飛び出しているそれはメジャーとはお世辞にも言えないアメリカンフットボールの雑誌であった 。私が中学校に入学式してまだ間もないころ、アメフトとその練習をしていり彼の両方に興味が沸いたからだった。 それからというもの私は酔狂なまでのアメフトファンへと歩み、彼に対しての想いも強めていった。 「入学したばっかりのときにね、練習してるの見て面白そうって調べてから凄く好きになっちゃって」 その言葉の裏には貴方も入っているのだけどね。 「じゃあ今日見においでよ」 いいの、と言おうとして慌ててその言葉を飲み込む。 アメフト部にはもう別れていたとしても彼とマーちゃんの組があった。 マネージャーと投手は否応なしに密接なる付き合いが存在している。 見たくなかった。 ![]() しかし彼は私を手放すつもりなど毛頭ないらしい。 やはりアメフト愛好者は貴重なのである。 私と云えば、勿論マルコ君のプレーするところを間近で見られるのは嬉しいもので行きたいのは山々であったが、やはり彼女と鉢合わせするのだけは嫌だった。 「ね、マルコ君…」 聞いちゃいない。 終業のチャイムが鳴ると即座に私の手をとりグイグイと引っ張ってゆく。 握られた手を振りほどくなんて私に出来る筈がなく、付いていくこととなってしまった。 (マーちゃんが部室にいませんように!) 嬉々として彼の開けたドアの向こうには、案の定、やっぱり、なんと表現すべきか判別しかねるが、彼女がいた。 神様というのは意地が悪く残酷なものである、だから信じないのだけれど。 彼女は驚愕を隠すのを禁じ得ないようであったし、私は私で困惑を露にしていた。 どうして、と音には出ない言葉を彼女の唇が紡いでいるのを見て本当に困ってしまった。 「…マルコ君、折角だからマネージャー業でもやらせてもらうね。練習頑張って」 私達二人の間に流れるなんとも言えない気まずい空気と私の言葉に軽く目を開き、そして、有難うと手を振って彼はグラウンドへと走って行く。 頼みの彼は自ら手放した。 さぁ、この現場をどうしたものか。 未だにマーちゃんは呆けている。 無理もない。 二人が付き合い出してから、それから別れた後も、私がずっと避けていたのに、突然ちゃんと目の前に現れたのだから。 「…マー、ちゃん」 口を開けば暴言を吐いてしまいそうで、どうしても言葉が出ない。 どうして貴女だったの。 別れたのに思い合っているのはどうして。 貴女がいなければ彼の心は私に向いてくれるの?嗚呼こんなにも醜い私。 「……、はマルコが好きなの」 ようやく彼女が絞りだした言葉だった。 その言葉に今まで我慢していた激情が、まるで火山の噴火のように溢れた。 「そうだよ!入学したころからずっと!マーちゃんと付き合ってた頃だって、今だって、私はマルコ君が好きだよ!どうしてあの人はマーちゃんをずっと見てるの!どうして私を見てくれないの!どうしたら私を見てくれるの…!」 息を入れず言い切った所為で、酸素が足りなくなりハァハァと肩で息をする。 それを彼女は再び呆然とし、そして凝視していた。 ![]() 嗚呼とうとう言ってしまったんだという脱力感と、ある意味では開放感に見舞われた。 流石にここまで言い切った後では撤回などは到底出来そうにないし、なによりプライドがある。 考えるように俯くマーちゃんの言葉を、自棄になって寧ろ楽しみに待つ。 どうにでもなれ、今の私の率直な気持ちだった。 チッチッと時を刻む小さな音すらも響く静寂が重力を何十倍にもしているようである。 「……私………私もまだマルコが好きよ」 「うん、見てれば分かるよ。どう見てもマーちゃん達はまだ両思いじゃない」 「でも、私達の間には好き合っていても溝があるわ。だから、」 そこで彼女の言葉が一旦途切れた。 何か言葉にしたくて出来なくているようにも、言い淀んでいるようにも取れる。 また時計の音が大きくなったが、特別急ぐ用事は何もなかったので、次の言葉を急かすことなくただ待つ。 「…私達の間の溝がなくなるように私も頑張るから、」 すぅっと深く息を吸い、マーちゃんは3年ぶりに私と目を合わせた。 それはある確固たる意思を持った強い女の目だった。 「、貴女も頑張りなさい。私だって簡単には負けてあげないんだから」 そうだね。 氷室丸子という人間はこういう人間だった。 だから私は彼女をどうしても嫌いになれなかったんだもの。 彼女のこういう面が好きだったから。こんなにも醜い私と正面から勝負してくれるというの。 不覚にも私の目からは涙が一滴、筋を作って、落ちた。 そしてその一滴に倣うかの如く次から次へとまた涙が流れる。 一度流れ出した涙は止まることを知らないらしい。 次第に嗚咽が口から漏れはじめた。 マーちゃんは恐る恐るといった感じで一歩、また一歩私に近寄ってきた。 「まー、ちゃ…っ」 私の小さな身体は彼女の腕の中にすっぽりと収まる。 馬鹿ね、というその言葉は聖母のように優しい。 「貴女は醜くなんてない。嫉妬することの何処が駄目だというの。ちゃんと好きって証拠じゃない。もっとその気持ちを大切になさいよ。それでその気持ちをちゃんと自分で受け止めればもっと綺麗よ」 ![]() いままで必死に張っていた虚勢が剥がれ、私は声をあげて、涙をボロボロと零し、マーちゃんにしがみついて泣いた。 「ごめ…っ、…っがと……!」 今まで避けててごめんね。 こんなにも嫉妬の渦で醜い私を許してくれてありがとう。 マーちゃんと幼馴染みで心から良かったと思うよ。 収まってきた涙をグイと拭い、今度は私から目を合わせた。 「頑張るよ。マーちゃんなんて目じゃないくらいメロメロにしてやるんだから!」 彼女は少し目を大きくして、細めた。 その目潤んだのはきっと見間違いなんかじゃない。 私達はまたもとの関係に戻った。 昔と違うのは二人とも同じ人を好きだということ。 それから私は笑い合った。 それは本当に久しいことであった。 ガチャと扉が開かれる音がした。 「マルコ君!」 「さん、」 「どうしたの、まだ終ってないでしょう?」 彼は私とマーちゃんとを交互に暫く見比べ微笑んで言った、心配して損したっちゅうね、と。 彼はさっきまでの私達の微妙な関係を案じていたらしい。 私達は再び顔を見合わせて笑った。 しかし私の目が多少赤く腫れているのが気になったようではあったので(直接口には出されなかったが)、 ちょっと泣いちゃったんだとウインクしてみせると本当に安心したように笑った。 優しい。 「ね、マルコ君」 「ん?」 「私もマネージャーやっていいかなぁ」 マーちゃんも彼と同時に私の方をあんぐりとした表情で見た。 驚いているようだ。当たり前だ、今思い付いたのだから。 驚きから復活したマーちゃんがマルコをみやった。 「そろそろ部員が増えてきたから新しいマネージャーが欲しかったのよ」 「そうだね。歓迎するよ、さん」 「ありがとう、マルコ君」 |