T
(妖一くん愛してるよ。…でもゴメン……)

明かり一つない闇の中、そっと私は彼の腕から抜け出した。 細身であるのに意外にもしっかりと筋肉のついた腕は手放すのを拒否したくなる。 こんなにも嫉妬深い醜い私でなければ、こんなことにはならなかっただろうに。 愛おしすぎて、苦しい。 私と彼の年の差6つはどうしたって埋まることがないのは解っているし、彼にとって部活がアメフトが第一だというのも解っている。 でも彼の、マネージャーの子と話しているときの表情があまりにも楽しそうで、きっとそれはアメフトのことだからだと思うが、やはり胸がぎゅっと締め付けられたように苦しくなるのである。

(いっそ貴方を繋いでおけたらいいのに、)

好きだとだきしめてくれるのも、噛み付くような荒いキスも優しいキスも、直前に必ず私の名前を言ってくれるのも、果ててぐったりした私の頭を撫でてくれるのも、全部全部ホンモノだけど、私は決して彼の一番にはなれない。 女というのは、どうにも我が儘で自分勝手で、自分にとって一番のトクベツになれないのは寂しくて苦しくて我慢できなくなる。 もっと私のことを見てほしい、私だけを見ていてほしい。 そう考えてしまうのは仕方のないことなのである。 けれどそんな自分が嫌になる。 束縛を嫌う男だから、私がそんな事を思っているのを知れば、確実に良い気はしないだろう。

(だから、私は貴方から離れるよ)

悪い思い出を最後にしたくないから。貴方が私をただ純粋に愛してくれているうちに。 彼の少し汗ばんだ頬にキスをひとつ落とした。 新しい仲間が増えたという部活の日々の練習量は、初めの比にもならないほど多くなった。 それでも欲には忠実な彼は毎日のように二度三度して寝るから、一度眠ればしばらくは、ちょっとやそっとでは起きない。 そんな時を狙うのは未練ゆえか。 離れると決めたのは私自身じゃないか、なんて往生際の悪い。 口の端を奇妙に歪めて自嘲する。

「自分勝手な私をどうか許さないで…?」

朝起きた彼は慌てるだろうか。 それとも、実は私のことが嫌いになっていて清々する? いいや、彼は自分のテリトリーに他人が入るのを拒みたがるから、私はテリトリー内に迎えられてるし、やっぱり慌てるかな。


ああ、でも今ここから逃げられても、その悪魔の手帳ですぐに居場所が割れてしまうのかな。










U
…寒い。寝起きのぼぉっとする頭でうっすらと思う。 隣を見れば彼女はいなかった。 普段から変な時間に起きて入浴したり、突然思い立ったが如く散歩にいく彼女だから、今日もそうなのだろう。 寒いけどな。手を伸ばして携帯を開く。4時11分。もう一度目を閉じた。 カチ、カチ、カチ、カチ…。普段ならば気にもならない時を刻む時計の一定音が妙に耳につく。

(…眠れねぇ……)

ごろんごろんと幾度も寝返りを打っていると、ふとナイトテーブルに一枚の白い紙が4つに畳んで置かれているのが目に入った。 寝る前にはそこにはなにもなかった筈だった。 彼女が隣にいない時間が長くて、頭に嫌な考えが横切る。 まさか、な。しかし体は正直で、一瞬浮かんだ予感に、どうにも手を伸ばせない。一 人でいるとなんでもネガティブに考えるといった誰かの言葉がふいに思い出せた。

(ケケケ、俺らしくもねぇ)

震えそうになる自分の手を叱咤して紙を掴む。 そろそろ夜が明けそうな時間で明かりは必要なかった。 カサリ。

(………嘘、だろ…)

妖一くん、ごめんね。 大好きで愛してるんだけど、私が嫉妬でどうにかなっちゃいそうだから妖一くんから離れます。 私の我が儘だから私を嫌いになってね。

「嫌いになんてなれるか阿呆っ…」

彼女がアメフトに姉崎まもりに嫉妬しているのは知っていた。 ただアメリカンフットボールというのは蛭魔妖一という人間を形成する上で必要最低限のものだったために仕方のないことであった故、そんなにも思い詰める程だとは考えていなかった。

(そういや、年の差気にしてた…な。それで同い年の糞マネージャーに嫉妬したのか)

しかし、いくら悔やみ考えたところで彼女がいなくなったのは覆しようのない事実だ。 気付かなかった己への怒りと、それをそのままぶつけてくれなかった年上の彼女への怒りが折り重なって上昇していくのが自分でもよくわかる。 断っておくが、怒りが募ったといっても嫌いになったわけでは決してない。 むしろ反対だ。 もっと溢れるくらい愛してやりたいと思う。 立ち上がって机のある方に足を運んだ。 机の上に置かれたパソコンには周辺だけでは収まらない関東一体に隠し置いた改造した携帯の防犯カメラもどきと、こっちは全国単位の店にハッキングして得られた防犯カメラの映像が映し出されている。 カタタタタッ、カタッカタッ。 何処だ、何処にいる? こんな時間に行けそうな場所を近場から埋め尽くしていくように探す。

「…いた」


――場所は横浜









V
コーヒーのおかわりを断って、は頬杖をついた。

「妖一くん、怒ってる…かなぁ」
「当たり前だろ」
「だよねぇ…って…よ、妖一くん!?」

後ろから聞こえた声はよく知ったもので当然のように受け答えしてしまったが、その声から逃げていたのだと思い出し、慌ててその方を振り返った。 いつもの意地悪な顔でケケケ、と笑う彼に不覚にも涙が溢れそうになる。彼がこのファミレスに来た理由は明確だった。 しかし彼から視線を外し、店内備え付けの時計を見れば短い針は6を越え、長い針は20を少し過ぎたところだった。

「…朝練は?」

今日は水曜日であった。

「サボった」
「……どうして?」
「お前の方が大事なんだよ、そう思ってなかったみてぇだけどな」

たとえ嘘でも嬉しかった。でももう一度傷付くのは嫌だからか、素直にその言葉を受け取れない。

「嘘だよ、妖一くんアメフト大好きじゃん」
「勿論アメフトは死ぬほど好きだ。でもな、お前がいない方が堪えるんだよ」
「…うん」
「だから戻ってこい」
「…うん」
「ホラ、行くぞ」
「………うん、ごめんね妖一くん」

それでもなかなか席を立たないに手が差し出された。 初めてかもしれない彼の行動にびっくりして、今の空気を忘れ、妖一くん大丈夫?熱ない?と聞いてしまう。 うるせぇよといった彼の顔はからは見えないが、心なしか耳が少し赤みを帯びている。 普段は年下のくせに、その辺の大人よりもずっと大人びているのに、赤い顔を隠していて、でも全部は隠せずに赤いのを覗かせる今の彼は年相応で可愛らしい。

「私のこと嫌いだなぁとか思ったりした?」

彼からの愛を感じているからこそ出来る問い。 今、彼が私のことを微塵も嫌いだと思っていないから。

「してねぇよ、寧ろもっといっぱい愛してやろうと思った」

(…ああもう本当に妖一くん大好き)

結局のところ、私は蛭魔妖一という男から離れることなど到底不可能な話なのであった。 二人はそのファミレスを出て、そろそろ出勤又は登校中の人で多くなってきた道を流れに逆らうように歩きはじめた。

「ね、妖一くん」

繋いだ手に少し強く力を入れて、は聞いてくれる、と隣を歩く男を見上げた。 彼が小さく頷く。 それを認めては話し出した。 こっそり見に行った初めての試合でアメフトに姉崎まもりに嫉妬心を覚えてから、もうずっと我慢していたこと。 そんな自分に嫌気がさして、せめて良い思い出しかないうちに離れようと思ったこと。 ひたすらに隠していた胸中をすべて話し終わると、今度は今まで黙って聞いていたヒル魔が口を開いた。

「全部吐き出せたか?今度から溜めないで言え。俺がを嫌いになるなんてこと、ねぇんだよ」
「うん、ありがとう妖一くん」





(…今日仕事あったよな)
(うん、なんで?)
(休め)
(えええええ!?)
(ホテル行くぞ、ホテル)
(なんでっ!?)
(どんだけ俺がを好きなのか分からせてやろうと思って)
(部活はっ!)
(…休む)